田中修さん(マネージャー)が語るイエロー・モンキー

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MUSIC MAGAZINE(2014年/ミュージックマガジン)に掲載された、イエロー・モンキーのマネージャー・田中修さんのコメントをご紹介します。楽器周りのスタッフを経て、93年夏からイエロー・モンキーのマネージャーとして4人を支えた田中さん。メンバーのトーク内やファンクラブ会報で頻繁に名前が挙がり、ファンにはお馴染みの存在で、2016年の再集結時のパンフレットでも、4人の座談会トークで司会をされていました。
イエロー・モンキー解散中の2014年に行われたこのインタビューでは、デビュー当時から解散まで、それぞれの局面における思いや考察が語られています。

「自分たちの確固たる美学は譲らない。そうでなければこのバンドをやっている意味がないと思っていたと思います」
4人は、これが初めてのバンドじゃないから最初から動員はあったんですが、ライヴは着実に動員が増えていきました。500人から1000人と、地道に登った感じで、一気にブレイクしたという感覚はない。ブレイクしなかったバンドなんです。

3作目「Jaguar Hard Pain 1944~1994」は、バンドとしてやりたいことをやるという作品だった。その後にメーカーから売れる作品を、という話があって、作ったのが「smile」。ジャケットが顔を隠したデザインですけど、あれはコマーシャルな作品にしたが内面は変わらない、ということだと思います。

(メディア出演は)断らないけど、うまい具合に受け流したり。これをやってはダメだろう、という暗黙の了解が4人にはあって、そのバランス感覚は絶妙だった。自分たちの確固たる美学は譲らない。そうでなければこのバンドをやっている意味がないと思っていたと思います。終盤までヘア・メイクやスタイリストをつけたこともなく、吉井さんはヘア・カットも自分でやってたぐらい。

(パンチドランカーツアーでは)終演直後に救急搬送されたこともあるが、彼等はどんな状況でもライヴはやるものと思っていました。だからこのツアーも飛ばしたことは1回もないです。

休止中にそれぞれ始めたソロ活動に、イエロー・モンキーの看板が重たいんじゃないかと。それをなくすことで違う道が拓けるんじゃないか、ということで解散になったのではないでしょうか。

こんな素晴らしいミュージシャンのマネジメントが出来たことに感謝しています。

MUSIC MAGAZINE(2014年/ミュージックマガジン)より抜粋
テキスト/今井智子